愛子宿めぐり

標柱設置場所Guide Post

愛子の大蛇伝説Regend of a doragon in Ayashi

愛子駅より西側へ500メートルほど進んだ旧48号線と仙台西道路(愛子バイパス)に挟まれた地域は「蛇台原」と名付けられています。

蛇台原


1783年から1787年までの5年間に江戸時代の三大飢饉のうちの1つ、天明の大飢饉がありました。ここ愛子でも多くの人々がなくなったと記録が残されています。

特に1785年は干ばつがひどく、多くの村で雨乞いをしましたが雨が降ることはなく、33の村の肝入や村人たちが愛子宿に集まり、話し合いを行った結果、各村から藁1束を持ち寄りこの場所で頭を西向きに長さ約45メートル、頭の大きさ約1.8メートルの龍を作り蕃山に担ぎ上げて雨乞いをすることが決まりました。


数百人の人々が愛子宿に宿泊し、何日もかけて龍を作り上げました。

龍が完成すると、ここから塩柄街道を通り諏訪神社に向かい、現在の弥勒寺の奥から蕃山に登り始めました。

通り道の草を刈る人間250人、龍の本体の担ぎ手300人が、道無き道を蕃山の頂上へと目指しました。

しかし、黒滝不動尊を少し過ぎた急な坂道を登っていたところで突然大雨が降り出し、担ぎ手がバランスをくずしたことにより龍の頭がもげ、転げ落ち黒滝不動尊の社に引っかかって止まったと言われています。

祈りが通じたのか、翌年1786年は大豊作だったという記録があります。


これ以来、龍を作ったこの場所を蛇台原と呼ぶようになり、蕃山の西側の頂上を蛇台蕃山と呼ぶようになりました。

蛇台原および蛇台蕃山は、伊達家の祭事を行う神聖な場所としてとても大切に扱われるようになったそうです。