愛子宿に三軒ある茶屋の1つであるここ、「デンゴ茶屋」は、木造二階造りの豪壮な建物でした。次の「熊ヶ根宿」までは約2里(約8キロ)あり、山形方面へ続く作並街道と、秋保へと続く塩柄街道とが交差するこの場所に立つ「デンゴ茶屋」には、とても多くの旅人が訪れたと言われています。この奥の茶屋屋敷跡には推定樹齢300年の桜の古木があり、当時の面影を今日に伝えています。
■「里」とは?
「里」という単位は中国から伝えられた単位で距離をあらわしています。
歩く一歩の幅から計算されたもので、これは地形や道路の状態によって変わるので不便だということになり、半時(約一時間)歩いた距離を1里と呼ぶようになりました。
しかしこれは便利だったものの、距離の単位として使うには混乱を招くということで豊臣秀吉が36町=1里≒3927メートルと統一しました。
なので現在では1里といえば約4キロメートルと覚えておけば問題ありません。豊臣秀吉は天下を統一しただけではなく、距離の単位も統一したんですね!
■English
This teahouse is one of the three tea houses that host travelers' accommodation, food and drink. The nearest of the west entrance of Ayashi’s central area is "Dengo Tea House", from here the next hostel in the direction of Yamagata is ‘Kumagane’, which is about 2 kilometers (8 kilometers) far from here. It is said many travelers would recover from tired just by taking a breath here.
■中文
■韓国語
さあ、ここでまず最初に私が一番に疑問に思ったことは「デンゴ」って何?ということだ。
飯坂茶屋→屋号?人名?地名?まあわかる。
中野茶屋→宿場町の中心にあったから?中宿地蔵尊の近くの茶屋だから?これもわかる。
デンゴ茶屋→カタカナ?漢字はどう書くの?だんご?デンゴ?えっ??
私はこの謎を解明しようと懸命に調査をした。
聞き込みを開始すると、デンゴ茶屋は営業こそしていなかったが、建物自体は昭和30年くらいまでは残っていたということがわかった。
しかし肝心の「デンゴ」のいわれ、意味などのことに質問が及ぶと、皆一様に「知らない」、「周りがそう呼んでたから」というようなあやふやな答えしか返ってこないのである。
歴史書を紐解いてみても、神社・仏閣や公共の施設の記述がほとんどで、江戸時代からあった茶屋といっても手がかりは全く見つからないのであった。
暗礁に乗り上げたかと思われたこの調査だったが、秋山先生のある言葉に感じた違和感を機に、頭の中でパズルが組み上がっていくかのようにひとつの仮説が浮かんできたのである。
それまでは私の中ではデンゴ茶屋跡は現在のロリアンという認識だったのだ。
しかしある日「後ろの家がデンゴ茶屋跡であり、現在のロリアン裏の桜の木は当時から茶屋の前にあったそうだよ。」と、秋山先生。
「では、今の街道に面したロリアンさんの敷地には何があったのでしょうか?」
「前に広いスペースがある茶屋だったのだろうね。」
その場では一旦納得をした私であったが、頭の中にはモヤモヤとした感触が残っていた…これが私が違和感を感じたやりとりである。
数日後、私は「ダンコ馬」と呼ばれていた馬の存在を「宮城地区雑記控」を読み、知ることとなる。
「ダンコ」とは荷駄(荷物)のことを指し、荷駄を運ぶ馬を秋保、作並地区では荷駄の駄から「駄んこ馬」、「ダンコ馬」と呼んでいたらしい。
ダンコ→ダンゴ→デンゴ!!!
この瞬間、霧が晴れるかのように200年前の当時の様子が私の頭の中に思い浮かんだのだ。
荷駄を運ぶ馬や人が数多く行き交う関山街道、そんな人々が雑談をしながら休息をとるデンゴ茶屋。
そう多分愛子宿は仙台からの距離を考えると宿泊するための宿場町というよりも、交通の要所であるがゆえのちょっとした休憩や情報交換のため茶屋に足を止める人が多かったのであろう。
前に広いスペースがありダンコ馬を休ませ、目の届く範囲で人もゆっくりと一服できる茶屋が愛子宿の西口にあった。
その茶屋は当時の旅人達から「デンゴ茶屋」と呼ばれてたいそう親しまれていたに違いない。
そして時を超え、現在たまたま同じ場所に洋菓子ロリアン(喫茶店)が営業しているとは偶然というにはあまりにも奇跡的ではなかろうか。
以上の仮説を持って私の調査は終了とするが、興味がある方はもっと調べてみてはいかがだろうか?
歴史を検証すること、それは実に面白い!