愛子宿めぐり

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御殿山山頂の氏神として祀られていた山神に、1189年、源頼朝が奥州合戦の戦勝祈願をしました。合戦後、配下の伊澤家景(後の留守氏)に社殿を造営させ、その後国分氏に支配が移り、諏訪神社と改称しました。国分荘三十三ヶ村の守り神「国分一宮」として崇敬(すうけい)を受けています。 昭和38年(1963年)、本殿と棟札が県の有形重要文化財に指定されています。

■English
The shrine was set for praying for Yamasato’s victory in Oshu Battle in Bunjyo year (1189). After the battle, Izawa Famousone was appointed to construct the shrine. Afterwards, it was given over House Kokubunwhich and changed its name as Suwa Shrine. It was renowned as the protector Kokubunso’s 33 village. According to the record, the shine was consisted from Yasumasa 3 (1457) to Date Han Period. The current shine was built in Hoei (1705). Protected by shrubs, it is well preserved until nowadays. In Showa38 (1963), the shine was designated as tangible important cultural assets of the prefecture.

■中文
中国語説明



■韓国語
韓国語説明



諏訪神社の境内にあった朝日山妙臺院について AsahisanMyodaiin

明治維新の神仏分離令により諏訪神社境内にあった朝日山妙台院は廃寺になりましたが、寺の住職が書き綴った筒粥記録が残されておりました。

「江戸時代後期から明治6年6月まで愛子の寺小屋として利用していました。」

朝日山妙臺院

■筒粥記録とは

筒粥記録は万治二年(1659)から記録が始まり、以来代々住職が書き綴った日々の記録は大変貴重な記録として残されておりましたが、安永2年(1773)3月遡日に客殿・厨房などが炎上してしまった、その時、宝物や記録ともに、安永二年以前の「筒粥記録」も鳥有に帰してしまったそうで残念です。 しかし、住職達が改めて安永3年(1774)正月から書き始め明治18年まで111年間代々書き継がれて、その記録が現存されています。 万治二年からの記録が残されていたら、(225年間)実に圧巻であったと惜しまれてなりません。

■主な筒粥記録

安永三年(1773)からの筒粥記録によると、天明四年(1784)は「雨餓」、同五年は「早餓」とあり、『山根通り殊に甚しく「蕨の根」と「山野草」と「稲藁の節」の所を一緒にきざみ練り合わせて食した。』と記録されています。 この記録によれば日照りの都度何回となく雨乞いを行っていましたが、天明五年の干ばつは特にひどかったようであります、前年は雨降り続き、冷害だったことなどから相当大がかりな雨乞いになったようであります。

「餓死する者日々に多く農民の死活日に迫り、人心の動揺も極限に達した。 これをこれを鎮めようとして、六月五日国分荘33ヵ村の肝入と村人多数、上愛子東原(現在の蛇台原)に集まり評定の結果、大きな蛇をつくり雨乞いをすることに決定した。と記録されている。

蛇を作った場所は蛇台原(蛇形ヶ原ともいつた)ここで「蛇躰の長さ二十五間(45m)、頭と尾はそれぞれ一間(1.8m)ひげの長さ一間程、角の長さ一尺五寸(2.7m)、尻尾につけた剣の長さ一間半・・・略・・拵い人足等数百人、愛子町に三十余ヵ村より相詰め止宿す。誠に以って高大の義なり」と記されています。

蛇躰は塩柄街道から愛子の町並みを抜け元木道(本木)に入り、原で休息した後山際から山に入った、「道刈人夫二百五十人、蛇担ぎ人足三百人、その他供物や諸道具、八大龍王の旗など持つ者多数」ともあり、さらに中腹の「前髪坂」に至らんとする時、沛然として降雨あり、その難儀一通りならず、蛇躰を太郎坊瀧(黒瀧不動尊)に引きおろして切り放せば露雨の空も翌日は晴天に変じた」と記録されている。

西風蕃山を蛇躰蕃山ともいい頂上に蛇躰松という古松があったそうです。 また、蛇台原には昭和20年頃まで蛇体をあげた土の檀があり、そこに一本の榧(かや)の木があったという。 諏訪神社には天明五年の雨乞いの際神棚に掲げた龍の絵が現在も保存されています。

龍の絵