愛子宿めぐり

詳細Explanation


この場所の向かい側(作並街道北側)には以前は馬頭観音等の古碑群がありました。街道沿いには小川が流れ、他よりも少し低いこの場所には岩で作られた「月橋」がかけられていました。この付近を起点とし愛子宿西口までのおよそ740メートル間が「愛子宿」と呼ばれていました。月橋は作並街道拡張工事時になくなりましたが、現在でも住所表記にその名を残しています。古碑群は2017年に愛子駅北側の「大門寺」に移設されました。

■English
In the Keicho year (1610s) when Date Masamune constructed Sendai Castle and castle town, the current Sakunami Street was also be repaired. There were three teahouses in this roadway for providing accommodation for passengers and delivering luggage. A semicircular stone bridge "Tsukihashi" was hanging over the entrance creek, and there was an ancient stone monument group at the entrance of the entrance. However, in 2017 it was relocated to "Daimonji" on the north side of Ayashi station. Ayashi East Stagewas located in the closest place to the castle in Sendai, there were 33 Rooms settled in this 740-meter roadway to the west.

■中文
中国語説明



■韓国語
韓国語説明



月橋物語りStory of moon-bridge

むかしむかし、そのまたむかし、愛子はとても静かで広々として平らなすそ野のゆったりのんびりのところだったそうな。

もちろん、鉄道線路もなく広い広いところだった。道も一本の細い田圃道、傍らに清き流れの広瀬川、そして、町区域は月橋近くを東ロとし、西は延命地蔵尊前を通る一本町だったそうな。

雨でも降ろうものなら広々とした平坦なるこの地域、北原界隈(広中方面)よりの水は低いところを辿り、やがて小川を形づくり、流れ流れて町東口付近を通りやがて山鳥川へ。

この小さな流れに粗末な土橋が架かっていた。これが「月橋」。この付近まで鮭が遡上したとの話もある清流だったそうな。 この橋より眺める月はまた格別、屋敷林の梢に懸る満月の眺め、 ただ眺めていただけでも夢心地に浸る思い、かつてはロマンも豊富にあったことか。

やがて時移り時代も過ぎて、今では自動車がひっきリなしの騒音、古を偲ぶべくもない。しかし「月橋」 誰が付けた呼名か、ただ何となくロマンを醸し出しそうな名称。 欄干もない小さな土橋、しかし土橋ゆえの月明かり。皆物静かな満月の夜を楽しんだ若者達もあっただろう。嗚呼月橋、何と ロマンの湧き出てきそうな呼名か。 「嗚呼月橋」いつまでも清らかでありたい。

宮城地区雑記控 佐藤正様寄稿 より抜粋